動物同士の感情~救急搬送受け入れ先見つからずの近所の現実
日毎に寒くなってきています。先日実は悲しい出来事が
やってきました。今度は職場で大事に暮らしていた
モルモットが怪我のため亡くなりました。人間でも
救急搬送の場合受け入れ先が見つからず手遅れに
なるというニュースを良く耳にしますが、これが現実の
出来事としてわが身に降りかかった時どうすればよいのか。
容態が急変したのは12時30分過ぎでした。実は近所の
動物病院はこの時間から夕方まで休診なのです。その間
手術や往診に当てられております。勿論急患は受け入れますと
記載してある所も多いのですが。近所のめぼしい病院に向かい
ました。ことごとく受け入れを断られます。でも
心臓が破裂しそうな私たち・・・電話の応対で悲しいことを
目の当たりにもしました。「他院をネットとかで探してください?」
すごいそっけない、あいまいな言葉に愕然とするも時間がないのです。
混乱のさなか職場から少し離れているのですが先日我が家の猫にいい病院
があるよと薦めていただいた所にだめもとで電話しました。
案の定先生は往診で不在でした。「わかりました」またダメです。
次はどこだ?どこがあるのだ?電話を切った2分後に着信が!
はじめてです。「あと15分で院長が戻ります。大丈夫ですか?
それでよければすぐ来てくださいね」
数名で泣きながら到着しました。ガラス越しに誰でも見れる
ように配慮された診察室すばやい処置。一生懸命してください
ましたが残念ながら夕方息を引き取りました。
実はこの動物には、うさぎの相方が常にいました。
生まれたのは両方今年の2月。いつも側におりました。
夜職場の上司が自宅に亡骸を連れ帰りました。
同時にうさぎも連れ帰ります。亡骸をじっとじっと
目をこらして覗き込むうさぎが居たそうです。
2日後うさぎが急性膀胱炎になってしまいました。
ゲーリーコワルスキー氏の「ペットの死をこえて」と
いう本にも記載されているのですが、動物にも
人間と変わらない好き嫌いの別、気分、感情があると
いう事を今回もまた目の当たりにしました。昨年我が家の
愛猫が亡くなった時もみんなが私のひざに絶対座らず
私のひざの周りをただ囲んで見つめているだけと言う現象が
ありました。この状態は数日続きました。人間以外の動物にも
悲しむという感情があるという事。動物の中にも死をぼんやりと
理解できるものがいると言うことがあるのだそうです。
自分にとって、いとしい相手が亡くなると別離の心痛を
余すことなく味わうことがあるそうです。
動物の中には涙を流す子も居るんだそうです。
そんなの作り話だ?と思いますか?
人間同様親しいものの死には不安と動揺を覚える
という事実。私たちが流す涙も自然なことであり
親しいものと別れを受け入れるのが苦しいのは
動物も同じだと言うところで大変慰められるのでは
ないかと記載されています。
人間の文化の中では悲しむことさよならをいうことが
簡単に許してはもらえない?特に動物を亡くした場合
その痛みを極力小さくするよう押さえつけられることも
あります。人間の死とは違い、ペットを亡くして悲しんで
いても慰めてくれる人も少なく、夜ペットが居ないがらん
として、うつろな家に戻るという事になりがちな現実。
多くの人は決して慰めてくれない。ペットを亡くしても
別に何事もなかったように職場での仕事をはじめとする
毎日の勤めをつづけていくのが当然というのが
きっと世間の考え方なのです。
「人の心の中には動物を愛する経験をしない限り
目覚めない部分がある」アナトール・フランス記
◆何事にも時があり、天の下の出来事には
すべて定められた時がある。
生まれる時、死ぬ時、植える時、植えたものを
抜く時。殺す時。癒す時。破壊する時。建てる時。
泣く時、笑う時。嘆く時。踊る時。
一代過ぎればまた一代起こり
永遠に耐えるのは大地。
なぜなら何事にも時があり
天の下の出来事にはすべて
定められた時があるから。
~旧約聖書「コヘルトの言葉」
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うさぎは1週間治療をして元気になりました。
けれども時折様子を見ていると思う
しぐさをするのです。天国の虹の橋から
瞬時に遊びに来ているのかもしれませんね。
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